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「斗南」をめぐる旅

2020.11.4

以前にもこのアナウンサー日記でお話しさせていただきましたが、
休日に「斗南藩」ゆかりの地を巡っています。

県内にお住まいの方は多くの方がご存じですが、
就職で青森に来るまで、恥ずかしながら、
私のふるさと福島県、子供時代を過ごした会津と青森県が
密接に繋がっていることを知りませんでした。

と同時に実感しているのが、
斗南藩にゆかりのある地域に取材などでおじゃまをすると、
私が福島県出身であると知った現地の方々が、
たとえ初対面でも大変に親切にしてくださること。
本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。

夏には三戸町におじゃまし、「三戸三碑」に手を合わせてきました。

三戸三碑は、三戸大神宮(地元の方は'神明さま'と呼ばれるそうですね)の
「会津藩殉難者之墓」・「杉原凱先生之墓」(旧会津藩の学者)、
悟真寺の「戊辰殉難者招魂碑」、
観福寺の「白虎隊の墓」の総称です。
地元の方はよくご存じのことと思います。

今回は三沢市におじゃましました。

廣澤安任さんの企画展を見るためです。
旧会津藩士の廣澤安任は、斗南の地に渡ったのち、
現・三沢市谷地頭に日本初の近代洋式牧場を開きました。
時代に翻弄されながらも逞しく生き抜いた廣澤安任の人生や、
過酷を極めた開墾の歴史は、
勉強すればするほどこのような場所に書き尽くすことは出来ないと痛感します。

廣澤安任が三沢にやってきたのは、資料によると40代前半だったそうです。

同じく旧会津藩士の山川浩(斗南藩権大参事、のちに陸軍少将)は、
このような歌を残しています。

「みちのくの 斗南いかにと 人問はば 神代のままの 国と答えよ」

およそ150年前、そのような荒れ野に立って、
40代前半の廣澤安任は何を思い、自らの心に何を誓ったのだろうと思いを馳せていたら、
お月様が昇ってきました。
DSC_2572.JPG
ほどなくすると、月はだいぶ高い位置に...
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松の枝葉の重なりが'お馬さん'のように見えたのは、偶然でしょうか。

月明かりの下、
奇しくもこの3日前に40歳になったばかりの私は、
安任さんに心の中でいろいろなことを問いかけていました。

「野にあって 国家に尽くす」

かねてから深い交流があり廣澤安任に大きな信頼を置いていた
大久保利通に明治新政府における入閣を勧められても、
斗南の地の開拓に一生を捧げた廣澤安任が残した有名な言葉...ですね。

青森にあって会津を想う...、
私の斗南をめぐる旅もまだまだ続きます。

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