番組審議会

番組審議会とは

放送法に基づき、放送番組の適正を図るために外部有識者の声を聴く場として設置しています。
主な役割は、

・放送番組の適正を図るため必要な事項を審議する、
・放送局に対して意見を述べる

ことなどとなっており、番組審議会が取りまとめた「答申」や「意見」は放送局がこれを尊重して必要な措置を講じます。
また具体的な番組の視聴・聴取も行われ、放送局はその議論や意見交換を次の番組作りに役立てています。

審議委員名

委員長    坂 本   徹 ( 北里大学 獣医学部 教職課程 教授 )
副委員長 平 間 恵 美 ( NPO法人はちのへ未来ネット 代表理事 )
  川 嶋 大 史 ( つがる市観光物産協会 会長 )
  上 村 鮎 子 ( 十和田乗馬倶楽部 代表取締役社長 )
  平 野 陽 児 ( 東奥日報社 執行役員 デジタル局長 )
  成 田 幸 男 ( 陸奥新報社 代表取締役社長 )
  粒 来 和 成 ( デーリー東北新聞社 青森支社長 )
   

10月番審_①

10月番審_②

10月番審_③

10月番審_④

 

 

 

 

 

第666回番組審議会

青森放送では、10月10日に  第666回番組審議会を開催し、下記議題番組を審議しました。

テレビ番組
 『 80年目の夏 ~ 青森に生きる二重被爆者の今~ 』    

                                                   ( 8月24日(日)16:00 ~ 16:30 放送 )

 
【番組内容】

青森市営団地で1人暮らしを続ける福井絹代さん94歳。(※現在は95)

14歳の時に疎開先の広島と、避難先の長崎で弟と共に被爆した「二重被爆者」です。

1945年だけで20万人以上にのぼる原爆犠牲者のうち、

二重被爆として登録されているのはわずか25人です。

2017年に亡くなった弟の國義さんが二重被爆を証明するために

絵と文章で残した被爆体験記は100枚を超えます。

福井さんは結婚を機に青森県に移住しました。

長崎・広島で暮らしていたことを話し、

「あぁピカドンね」と差別的な言葉にショックを受けて以来、

故郷のことや戦争体験を他人に言うことはありませんでした。

夫や子どもたちにも話しませんでした。

 

「最後の被ばく世代」とも呼ばれる「胎内被爆者」で

青森県原爆被害者の会会長・藤田和矩さんも、

父とともに周りに何かを言われるのが嫌で、原爆の話をしませんでした。

全国の被爆者が昨年度末、初めて10万人を下回り、

平均年齢は86.13歳と継承が難しくなるなか、

藤田さんも福井さんも少しずつ被爆体験と向き合い始め、

若者たちに体験を話し始めています。

 

迫り来る被爆者がいない時代に向けて、

原爆の悲劇を遠い地の「他人事」としないように、

青森に生きる被爆者が今何を思うのかを伝えました。

審議委員からの感想・意見

  • 広島と長崎で二重に被爆した方が青森にいることを知らなかったので大変な驚きだった。戦後80年の節目で取り上げたのだと思うが今後ももっと伝えていってほしい。見ていてつらい気持ちになり涙が出てきた。94歳の福井絹代さんの被爆体験をよく聞き出せたものだと思う。弟の國義さんが残した被爆体験を描いた100枚を超える絵は地獄絵図のようで凄惨だ。想像を絶する二重被爆の体験、取材力、映像に引き込まれた。「ピカドン」等、被爆者に向けられる言葉が人を傷つけてしまう恐ろしさにも思いが及んだ。戦後80年の夏にとどまらず、残し続けていってほしい。
  • 被爆した当事者の生の体験談は理屈抜きで心に突き刺さる。さらに、映像が伴うと見る者に強い印象を与える。様々な資料映像を効果的に差し込んでいたり、ナレーションも抑制が効いていた。登場人物の思いがひしひしと伝わってくる番組だった。あまりにもむご過ぎる被爆体験を噛みしめるように語ってくれたように思う。取材者が丁寧に寄り添った結果だと感じた。胎内被爆者である藤田さんの「隠しているんじゃない。言えないんだ。」という言葉にも胸が痛んだ。場面ごとにもう少し補足がほしかった。番組の結びも印象的。記憶の伝承という視点も含めて今後も継続取材してほしい。
  • 戦争や原爆について報じていくのは、報道機関の最大の役目だと感じている。戦後80年、当事者の多くが亡くなり、戦争体験を語らない人も多い中で、取材対象者を見つけて番組を制作したことに敬意を表したい。二重被爆者が青森にいることを初めて知り、福井さんが語る言葉に胸を打たれた。それだけに、二重被爆者の福井さんや胎内被爆者の藤田さんについてもう少し掘り下げてほしかった。これまで語ることができなった理由は社会の問題もあるだろう。その根源にふれ、掘り下げ、問いかけて次世代につなげてほしい。番組を放送したことに意義があるので、今回を序章とし、ぜひ、続編を期待したい。
  • 二重被爆者である福井さんが青森にいることは2019年の二重被爆者認定時から知っていた。当時は福井さんが被爆体験を語りたがらなかった経緯がある。積極的に語ろうとしない状況で時間をかけて説得し番組にしたのは凄い。福井さんの心境の変化を追えたら、より良いものになったのではないか。戦後80年の節目に福井さんを選び番組にした価値は大きく、非常に貴重な記録になったと思う。二重被爆や胎内被爆という悲惨な出来事が確かにあったのだと、青森県内の視聴者にも身近に思わせてくれた。当事者の思いや言葉を伝えるのはメディアの責務。若い世代も気付きを得たのではないだろうか。30分とは思えないほど、番組に引き込まれながら見た。
  • 胸がしめつけられる苦しさがあった。被爆体験者だからこそ語ることができる当時の恐怖が言葉となり、その一言一言が胸に重くのしかかり目が離せなかった。ピカドンという差別的な表現に傷ついて戦争体験を語れなかったこと、被爆者健康手帳認定の遅れ、2019年にようやく二重被爆者として認定された事実を知り、社会の仕組みや国の対応の遅れに言いようのない寂しさが募った。「戦争は嫌だね」という言葉にも涙が止まらなかった。平和の尊さを問いかけるこの番組を、平和が守られているであろう百年後も見てほしい。
  • 二重被爆者という言葉は知っていたが、当事者が青森県にいることは知らなかった。最初は映像を見ずに耳だけで番組を聞いたが、福井さんや藤田さんが語る被爆体験や言葉は非常に重いと感じた。戦争体験者や被爆者の生の声はやはり衝撃的で訴求力がある。二重被爆者である福井さんの証言、同じく二重被爆した弟が描き残した絵、写真などが30分番組の中にすべて入っていて構成や流れが良かった。この番組を見て気付きを得た人は少なくないだろう。その気付きをどうつなげていくのか、子どもたちに伝えていく役目がある。
  • 番組冒頭から重かったが、どんどん引き込まれていった。まだまだ知らないことがたくさんあった。「物が語りかけてくるもの」と「人が語りかけるもの」は違う。福井さんや藤田さんの表情が物語っているものをも映し出していた。「ピカドン」の表現に差別的なニュアンスを感じて口をつぐんでしまった福井さんや藤田さんの言葉から、社会や大衆の冷たさ・無頓着さ・いい加減さが不幸を生み出したのだろうと感じた。非常にインパクトのある大事な番組だと思う。「被爆者は今も青森で生きています」という結びに考えさせられた。
次回の番組審議会は11月中旬を予定しています。

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