■【戦後80年】墜落したB29の痕跡を求めて…道なき道を行く探検家 探索にカメラが同行 新たな発見が次々と(秋田県)
日本テレビ系列各局は「いまを、戦前にさせない」をテーマに、戦後80年に関する様々な特集をお伝えしています。
14日は、終戦直後に男鹿市の本山に墜落したアメリカの爆撃機・B29の機体の一部を、80年近い時を経て見つけた探検家・橋大輔さんの取り組みです。
今月1日、橋さんが、再び男鹿市の本山に探索に向かうと、草木が行く手を遮る道なき道を抜けた先で、B29の一部とみられる痕跡がまた次々と見つかります。
橋さんは、その痕跡を足掛かりに当時を知る人に話を聞いて、風化が懸念される戦争の記憶に光を当てることにしています。
■80年近い時を経て発見 B29の機体の一部
アメリカの爆撃機・B29が墜落したのは、1945年8月28日。
終戦直後のことでした。
捕虜に食料などの物資を届けるため、男鹿の上空を飛んでいたB29。
霧で視界を失って、本山に衝突しました。
墜落してバラバラになった機体はすでに、大半が回収されています。
ただ、その一部は、80年近くにわたって現場に残されていました。
男鹿のジオパークガイドの男性から探してほしいと相談を受けた秋田市の探検家、橋大輔さん58歳が見つけました。
橋大輔さん
「ピトー管といいまして、機体の先頭部分に取り付けられているんですけども、空気の圧力がかかりますけど、その圧力を利用して」
「飛行機のその時点でのスピードを測ると。これは現在。現在の新しいもの」
「こちらの方は、いわゆるアンテナをですね、B29、非常に長く伸ばして」
「機体全体および長いアンテナを使って、長距離交信をすることが可能だったと。つまりモーターで回収したり繰り出したりする。そういう機械のこれは一部だと」
これらの金属は、いずれもアメリカの国立第二次世界大戦博物館で、B29の一部だと特定されています。
橋大輔さん
「アンテナとか油圧装置っていうのは、機体の真ん中ぐらいにちょうど位置するので、それが発見された場所っていうのは、明らかにそういう位置関係が見えてきていまして、それをまた現場で検証していきたいなと」
■さらなる痕跡を求めて…探索に同行
6年前に始めた探索。
今回は、現場の状況を肌で感じたいと、男鹿市の職員も同行しました。
向かう先は本山に広がる国有林で、立ち入りが制限されている場所です。
橋さんは、林野庁と航空自衛隊の許可を得て探索しています。
GPSも活用しながら進む、道なき道。
探索ができるのは、草木が生い茂る前の春と、葉が枯れ落ちて、雪が積もる前の秋の、限られた期間だけです。
橋さん
「やっぱり加茂青砂の集落との近さというか、現場に入るたびに、あそこの集落から助けに来たんだなという。そういう近さをすごく感じますよね」
探索の現場にほど近い男鹿市の加茂青砂地区は、墜落したB29と深い関わりがあります。
■墜落から生き残った19歳 地元住民との交流
原爆の投下や、終戦前夜から行われた土崎空襲の爆撃でも知られるB29。
「鬼畜米英」として日本がアメリカを憎んでいた時代、終戦からわずか2週間後に本山に墜落した機体には12人の兵士が乗っていて、そのうち11人が死亡しました。
加茂青砂地区の住民
「とてもじゃねぇなということで、この部落民全部招集したの。それでナタたがえたりカマたがえたり行ったもんだから、このノーマン軍曹、ほれ、最尾翼のほうで助かっていたども、殺されるかと思ってびっくりしたんだな」
「1人助かって、住宅さ連れてきたども、ごちそう食べさせるって言っても、とっても食わね。悪いものだからと思ってな」
生き残ったのは、当時19歳だったノーマン・H・マーチンさんただ1人です。
加茂青砂の住民たちが本山から助け出しました。
それから45年が経った1990年。
マーチンさんは改めて加茂青砂を訪れて、感謝の思いを、直接、住民たちに伝えました。
マーチンさん
「何人の人が私を助けてくれたんでしょうか」
自分だけが生還したことに罪悪感を覚え、長く、墜落やその後の出来事を語らなかったというマーチンさん。
マーチンさん
「日本もアメリカも戦争をせず、世界の平和が続くように一緒に歩み続けなければならない」
■様々な思いを胸に 道なき道の先で新たな発見
長い時を経て、風化が懸念される戦争の記憶を伝え継ぐ足掛かりにしたいと、橋さんは探索を続けています。
橋さん
「ここで亡くなった人も当然ですけど、加茂青砂から救いに来た人なんかの、そういう思いとかも、小さいながらも全てここに凝縮されているような」
残された痕跡をもとに迫る、当時の出来事。
橋さん
「あのピンクのマーキングのところが、一つ遺物を発見した場所で、実はあの辺一帯が結構平らなんですよね。ですから今まで降りてきたこういう、この直角に対して、急にそこだけちょっと、不自然な感じで平らになっていて」
「西側からまっすぐ飛んできて、山にドーンとぶつかったっていう証言があって、加茂青砂から西側っていうとまさにこっち側」
標高715メートルの本山。
その中腹にB29が墜落したとみられています。
橋さんがこれまでに見つけた機体の一部もそれぞれ近い位置にありました。
今回の探索も、その周辺が中心です。
市職員
「橋さん、ワイヤー」
橋さん
「ワイヤー。おおすごい」
「ありました」
まずは同行していた男鹿市の職員が、金属を発見。
橋さん
「これですね。ワイヤー部分っていうのは、この地帯一帯がB29の墜落した場所なので」
「こういう形で地面に露出しているものというのも何か所かあるので」
この日はほかにも次々と“新たな発見”がありました。
橋さん
「焼けていますね」
「先端が焼けているんですよ」
B29の内装の一部とみられる、焼け焦げた布。
橋さん
「あの大きい機体が墜落して、いろんなのが粉々になったというのは頭ではわかりますけど、こんな内部のものまで引き裂いて、なんか想像を超えた力っていうか、相当その衝撃っていうのは大きかったんだろうなって」
「これ分かりますよ、私。多分クリップですよ。あの油圧の」
「すでに見つけてB29と言われているものの、油圧のパイプと金属の部品をつなぐクリップがあるんですけど」
「クリップにこの手のゴムというか、使われていまして」
本山にはまだ、大人の背丈ほどもあるB29の一部が残されているとみられています。
橋さんはこの先も捜し続けることにしています。
橋さん
「ここまでヒットするというか、核心部分が見つかったので、その大きいものっていうのがどこに潜んでいるのかっていう。その最後のその答えが見つかると、今まで見つかったエリアとの関係性から、より詳しい実態が見えてくるでしょうし」
橋さんは、見つけたB29の一部などをもとに、当時を知る人をたどる活動も進めていて、知られざる歴史に、改めて光を当てることにしています。
(05/14 17:54 秋田放送)
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